学生プロジェクトの課題:実行が不十分である

プロジェクトで最も大切なことは企画ではない。実行である。どんなに良い企画であっても、それが実行されなければ意味がない。そして、当初の目標が現実の世界で達成されることが重要である。それがプロジェクトの厳しさであり面白さである。

そもそも、企画というものは実行していくうちに変わるものである。机上で想定した前提や制約は、実際は当てがはずれることが多い。また、完璧に実行結果を予測することは難しく、やってみなければ分からない。

一方、優れた企画がなければ良い成果も出ないことも事実である。それでは、どこまで企画にこだわるか。プロジェクトには納期があり、使える時間は限られている。企画と実行の兼ね合いは悩ましい問題である。

企画は目標と進むべき方向性を示せばそれでよい。「地図ではなく、コンパスを持て」(MITメディアラボ所長伊藤穰一さんの言葉)である。このレベルで企画フェーズをひとまず終えて、実行フェーズを開始する。実行フェーズでは、メンバー間で役割を分担し、各々がサブ目標と納期を設定し、作品やシステムや製品などを制作する。常に当初の目標を意識し、それに近づかなければやり直す。

企画という得体の知れない空中戦は最小限にして、実行という実体が見える地上戦で勝負する、これがプロジェクトの秘訣であると思う。

 

学生プロジェクトの課題:企画に大いに悩む

学生は「企画」という言葉が好きである。ついでに言うと、「デザイン」とか「マーケティング」とか「コンサルティング」という言葉も好きである。現代の若者は、知的で、自分一人で行なえて、汗をかかない仕事にあこがれる。

新しいアプリケーション、製品、サービスを提案しようとすると、当然のことながら何らかの企画が必要となる。このときモノを言うのはインスピレーションであると彼らは思っている。一生懸命考えていれば、ある日、神のおぼしめしにより、とんでもないアイデアが舞い降りてくる。それまでは、あーだこーだとひたすら悩むのである。

ところが、世の中はそんなきれい事では動いていない。企画は既存の物の真似によって出来上がるのである。もちろん、今ある物をデッドコピーしても笑われるだけである。世の中に何も貢献しないからである。新たな物を企画するには、既存の物に何らかの付加価値をつけなくてはならない。

そこで、企画を行なうときに採られる現実的な方法は「あら探し」である。既存の物に内在している問題点を一生懸命見つける。そして、その問題点を解決するアイデアを考えるのである。

例えば、大学の授業で電子教科書を利用する企画を考える。そのとき、現状の紙の教科書をそのまま電子化しても新しいとは言えない。現状の教科書の問題点は、価格が高いこと、読んでも理解しにくいこと、内容がすぐに陳腐化することなどである。これらを解決するようなシステムや体制を提案すれば立派な企画となる。ちなみに、教科書の問題点を知っているのは、実はユーザーである学生たちである。

企画は未来を見て想像力を働かすのではなく、過去や現実を見てあら探しをすること。学生はこのパラドクスを理解しなくてはならない。

学生プロジェクト

学生プロジェクトをかれこれ10年以上指導している。

私が勤めている学部では、3年生全員が1年間のプロジェクトを行なう「プロジェクト」という科目がある。テーマは自由で、特に情報技術に関係があるものでなくてもよい。イベントを主催しても良いし、映画を制作しても良い。テーマは学生が決めても良いし、教員が決めても良い。1プロジェクトあたりの人数は10名前後で、教員1名が担当となる。

私のプロジェクトの2016年度のテーマは「岡本太郎美術館の集客」であった。2017年度のテーマは「お寺でのプロジェクションマッピング」である。どちらも学生がテーマを決め、担当になってくれと学生から頼まれたものである。

私がこの学部に入職したのが2003年で、その翌年からプロジェクトの担当教員を務めている。現在までに、下記のようなプロジェクトを経験した。

- 2004: インテリア販売アプリケーション
- 2005: 音楽検索サービス
- 2006: 店内放送による広告サービス
- 2007: 歩くのを楽しむアプリケーション
- 2008: 電子ノートアプリケーション
- 2009: ネ学生未来カタログ
- 2010: 電子教科書
- 2011: 棚田のコミュニティ作り
- 2012: 女性のための通勤服コーデアプリケーション
- 2013: (海外留学のためお休み)
- 2014: 旅行幹事アプリケーション
- 2015: モノへのプロジェクションマッピング
- 2016: 岡本太郎美術館の集客

合計12個のプロジェクトを経験したわけであるが、これにより学生プロジェクトには3つの課題があることがわかってきた。

① 企画に大いに悩む。

② 実行が不十分である。

③ スーパーリーダーはいない。

以下、これらの課題を説明する。

フェルナンド・フローレス 「行動のための会話」の先にあるもの

フェルナンド・フローレスは、1943年1月9日にチリの小都市タルカで生まれた。

1970年、27歳のときにサルバドール・アジェンデ社会主義政権に加わり、国有企業長官、通商大臣、財務大臣などを歴任した。しかし、1973年に軍が起こしたクーデターにより政治犯として投獄された。

1976年、国際的な人権救援団体アムネスティ・インターナショナルの尽力により、家族とともにアメリカ合衆国カリフォルニア州パロアルトに亡命した。ここで、スタンフォード大学計算機科学学科の研究員として働き、著名な人工知能学者であるテリー・ウィノグラードと共同研究を開始した。

1977年、カリフォルニア大学バークレー校に移り、1979年にヒューバート・ドレイファスとジョン・サールの指導の元に哲学の博士号を取得した。

ここで紹介する「行動のための会話」は、スタンフォード大学時代から約10年間続いたウィノグラードとの共同研究の成果を、1986年に発表したものである。ここでは、Language/Action Perspective(LAP)という新しいシステムデザイン論を展開し、コンピュータは人間を代行する人工知能(Artificial Intelligence)ではなく、人間の思考を支援する道具(Intelligence Amplifier)であると主張している。

その後、フローレスはLAPを実際のビジネスに適用して、経営コンサルティング会社Business Design Associates、ソフトウェア開発会社Action Technologiesなどの企業を立ち上げた。これらのビジネスを通して行なったLAP応用研究の成果として、1997年に「新たな世界の開示」を発表し、2001年に「信頼の構築」を発表した。

以下、チリからカリフォルニアに亡命して再びチリに帰国するまでの25年間のフローレスの経歴を追いながら、「行動のための会話」「新たな世界の開示」「信頼の構築」という3つの研究を解説する。

 

1.行動のための会話

 

 

2.新たな世界の開示

 

 

3.信頼の構築

デザイン思考が腑におちた

デザイン思考が流行している。
情報系学生の中でこの分野の勉強をしたいと思っている人は、極めて多いと思う。その証拠に、本学のコース選択で一番人気はデザインとメディアである。ソフトウェアやビジネスはかつての勢いはない。

私は、情報システムの開発においてデザインが重要であることは理解している。しかし、デザインが全てではないとも思っている。ソフトウェア設計、システムアーキテクチャ、要求分析など、多くの技術が関わるのである。納得できないまま現在に至っていた。

ところが、最近私の専門であるプロセスデザインの研究を進めていく過程で、思わぬことに気がついた。
プロセスデザインとデザイン思考は同じ考え方を源泉としていたのである。
それはLAP(Language/Action Perspective 言語行為パースペクティブ)という考え方である。

LAPは1987年にスタンフォード大学のウィノグラードとフローレスによって提唱されたシステムデザイン論である。
・人間の知識の本質は行為にある。だから、上手く行為する人ほど高度な知識を持っている。
・人と人は言語によって行為する。だから、言語に基づいて行為を改善するほど能力が高まる。
LAPとは以上のような考え方である。

その後、フローレスはLAPをビジネスプロセスデザインに、ウィノグラードはLAPを計算機インタフェースデザインに応用した。
私は前者のビジネスプロセスの研究に携わっていたのであるが、うかつにも後者の計算機インタフェースの研究を気にしていなかった。
ところが、ウィノグラードの計算機インタフェースの研究はインタラクションデザインへと発展し、デザイン思考へとつながっていったのである。
すなわち、LAPはビジネスプロセス研究のベースであり、デザイン思考のベースでもある。ワオ!

「人間の言語行為に着目して物事をデザインする」
デザイン思考の本質は要求分析の方法論なのである。それを理解して腑におちた。

LAP解説(3.基礎となる理論)

(1) オートポイエーシス

オートポイエーシスは、「生物の認識は自身の構造に基づく」という考え方です。1970年代初頭に、チリの生物学者であるウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレーラにより提唱された生命システムを対象としたシステム論です。

これまで、生物は体内に形状、色、音、匂いなどの特性情報を検出する専用の神経回路を持っていて、環境が発する様々な情報を分析して客観的に知覚すると考えられていました。これに対して、マトゥラーナヴァレーラは、環境は生物に攪乱をもたらすだけであり、それをトリガーとして対象を知覚するためのニューロンの活動パターンを生起するのだと指摘しました。そして、経験を通して、より多くの適切な活動パターンを体内に形成していくことを構造的カップリングとよびます。これは、生物が学習や遺伝を行なうことに相当します。

オートポイエーシスの考え方を人(生物単体)から組織へと拡大して適用した場合、ニューロンの活動パターンは仕事のプロセスであり、環境は顧客やサプライヤーと考えることができます。また、構造的カップリングはプロセスの改善や改革となります。

 

(2) 言語行為

言語行為は、「人は何かを言うことで何かを行う」という考え方です。1960年代に、オックスフォード大学のジョン・L・オースティンやカリフォルニア大学のジョン・サールにより提唱されました。

それまでは、言語は事実を述べる手段であり、それが真か偽かを客観的に証明できると考えられてきました。例えば、「ビートルズの楽曲は全て優れている」と「イエスタディはビートルズの楽曲である」が真であるとする。すると、「イエスタディは優れている」は真となる。

しかし、言語が話し手や聞き手の行為と密接に関係することがあり、この場合、真偽は意味がなく文脈に合っているか否かが問題となります。例えば、「プレゼン資料を本日中に作成してくれませんか」は仕事を依頼するものであり、「明日昼までに資料をお渡します」は約束を意味するものです。後者は前者の返答であり、そのような文脈の中でのみ適切であるか否かを判断できます。

このように、仕事に関わる人々が話す言語の意図に注目することにより、仕事をいくつかの活動に分解したり分類したりすることができます。その結果、活動の分担や順序が妥当なものかを分析することが可能となります。

 

(3) 解釈学的現象学

解釈学的現象学は、「人の理解は既に知っていること(経験)に基づく」という考え方です。1900年代の前半に、ドイツの哲学者のマルティン・ハイデガーとハンス・ゲオルク・ガダマーにより提唱されたました。

 解釈学とは、神話や聖典の文章がどのような意味を持っているのかを理解する学問です。従来、テキストの意味はテキスト自身の中にあり、背景となる文化や歴史などとは関係ない、と考えられて来ました。これに対して、ハイデガーとガダマーは次のように反論しました。文脈と全く独立した解釈はあり得ない。解釈は既に知っていることに立脚しており、既に知っていることは理解する能力からもたらされる。そして、この考え方を解釈学を越えて人の認知の問題に拡張しました。

これまで、認知のメカニズムを説明する哲学はデカルト心身二元論が主流でした。それは次のような考え方です。世界は、いろいろな対象からなる客観的な物理世界と、個人の思考や感情が働く主観的な精神世界の2つから構成される。認知とは、世界の状況を明確な属性をもった対象として表し、我々の思考や感情に登録する過程である。これを表象モデルとよぶ。

これに対して、ハイデガーらは次のように主張しています。人の認知の中核となるのは客観的な事実の表象ではなく、過去の経験に基づく先入観である。例えば、ハンマーで釘を打つとき、わざわざハンマーの表象を使う必要はない。我々は釘を打つという行為に慣れ親しんでいるから釘を打てるのある。

解釈学的現象学の考え方を組織学習に適用した場合、顧客や商品などの客観的知識だけを対象にするのでは不十分です。仕事の実行を通して得られた経験的知識をいかに蓄積し、共有し、改善するかが中心の課題となります。